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フィレンツェの穴場教会⑥、サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会
今年に入って連載を再開したフィレンツェの穴場の教会シリーズ、今回はサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会を紹介します。Piazza=広場という名前の通り、アルノ川向こう側のサン・フェリーチェ広場にある教会です。場所はピッティ宮殿すぐそばなのでsが、ヴェッキオ橋とは反対側。サント・スピリト広場からも遠くない場所ですが、ここに行こうと思わないと通らないエリアかもしれません。
教会の記録は1066年にまでさかのぼります。その後、他の教会と同じように時代ともに幾度となく改修が行われました。1457~1460年、当時の著名な建築家であったミケロッツォの設計により、ファサード、主祭壇、鐘楼が作られたとされています。そしてファサードは典型的なルネサンス様式ですが、内部はゴシック様式です。
中に入ってみて驚いたのは、手前の半分ほどだけ屋根が低くなっていること。そのスペースだけは3身廊でヴォールト天井になっています。これは1557年にドメニコ会の修道女たちがやってきた時、彼らの細則に従って、信者に見られることなくミサに立ち会うスペースが必要となったから。そのために入口から半分に上階を付け足したのです。
ちょっと変わった造りの他に、名画も数々残っています。
まずは、祭壇の十字架に注目してみましょう。美術好きの方ならすぐにサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のものと類似性を感じるのではないでしょうか。まさにこれは、1308年頃のジョットとその弟子たちの作品です。主祭壇向かって左中央には、エンポリの1595年の作品、「聖ジャチントの前に現われた聖母」。そして入口すぐ左は、ボッティチェッリ派の1480年の作品「聖アントニオ・アバーテ、聖ロッコ、聖女カテリーナ・ダレッサンドリア」、そして教会全体の壁に点在するのはデッラ・ロッビアの色彩テラコッタや、1300年代にまでさかのぼるフレスコ画です。
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しかしそんな芸術作品もさながら、最も心が打たれるのは第二次世界大戦中のある出来事です。ドイツ軍の占領が進む中、ここはオルトラルノ地区(アルノ川向こう側の地区)でレジスタンス運動が最も活発な場所でした。当時ここの神父であったブルーノ・パネライはオルトラルノ解放委員会に教会の地を提供し、またこの地区に住むユダヤ人をかくまっていたそう。1人は教会の資料館に実に6か月、また教区の家族の元に身を寄せたユダヤ人にも、パネライ神父は頻繁に足を運んでいたそうです。教会という宗教の場であっても、戦時中は決して安全な場所ではありません。しかも宗教が違う民族にも寄りそう、その姿に思いを馳せてしまいました。
ピッティ宮殿を訪れるとヴェッキオ橋の方へ戻る方が多いと思うのですが、逆側(ピッティ宮殿を背にして左側)にほんの2分歩くとこの教会にたどり着きます。ピッティ宮殿、サント・スピリト広場などオルトラルノ地区まで来られたら、ぜひこの教会にも足を延ばしてみてくださいね。
文・写真/中山久美子
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。イタリアの美しい村30村を紹介した「イタリアの美しい村を歩く」を東海教育研究所より出版。