フィレンツェの穴場教会⑤、バディア・フィオレンティーナ教会
前回に引き続き、ガイドに載っていないフィレンツェの穴場の協会を紹介します。今回も旧市街の中心地なので、フィレンツェに来られた方なら前を通ったことがあるかもしれない、バディア・フィオレンティーナ教会です。ヴェッキオ宮殿の裏すぐで、バルジェッロ博物館のほぼ前に位置しています。入口は2つ。建物全体のメインエントランスがあるのはヴェッキオ宮殿裏のプロコンソロ通りですが、左横に同じ壁で入ってお店が並んでいるので、ぱっと見は教会とは気づきにくいです。もう1つはダンテ・アリギエーリ通りで、そちらから入るとまっすぐに教会の入口が見えます。
TOP写真は、ダンテ・アリギエーリ通りから入ったところ。左手前にあるショーケースは、修道院には今も良く残っているの薬局です。ここにある薬局の製品は、この教会の修道士さんが作ったものはなく、同じベネディクト会の他の修道院のもの。私が行った時は、若い修道女さんがいろいろ説明をしてくれましたので、薬草や自然派のソープなどが好きな方はぜひ立ち寄ってみて下さい。
教会の歴史をさかのぼると、ここにはもともと、960年建設のサント・ステファノ教会がありました。それがウィッラ・ディ・トスカーナという貴族の女性に売却され、彼女やその他の寄付を基礎にして、その息子ウーゴ伯爵により978年、この教会が建てられました。その後、1285年にはアルノルフォ・カンビオによりゴシック風建築に改築され、当時の後陣の名残が今のプロコンソロ通りの入口に残っています。
1300年初旬に建てられた鐘楼はそのままですが、大半は1600年代の大改築によるもので、教会の構造は正十字架になっています。主祭壇上にあるのは、前述のウーゴ・ディ・トスカーナ侯爵のものですが、メディチ家のコジモ1世が寄付を提供した際にメディチ家の紋章を掲げるように要請した時にベネディクト会の修道士が断ったのだとか。1300年代に主祭壇に掲げられていたジョットの祭壇画は、今はウフィッツィ美術館にありますが、他にもいろいろな美術作品があります。
まずは入ってすぐ、左理側の壁にあるのが、フィリッピーノ・リッピの1482~86年の作品「聖ベルナルドの前に現われた聖母」。フィレンツェ包囲の際に作品を守るため、1530年にこの教会に持ち込まれたそうです。そしてもう少し先の同じく左側壁面、ウーゴ・ディ・トスカーナの上には1568年ジョルジョ・ヴァザーリ作の「聖母被昇天と聖人たち」が。そして、1001年に亡くなったウーゴ・ディ・トスカーナのお墓(1466-81年作)など、大理石のお墓も多く残っています。
しかし私が一番目を奪われたのは、浮彫の木製天井。これは、それまでのゴシック様式の桁組を隠すために1631年までに施されたものですが、とにかく緻密で、首が痛くなるまで見入ってしまいました。
ちなみに、「神曲」の作者でもあるイタリア語の父・ダンテが恋に落ちたマドンナ・ベアトリーチェと初めて出会ったのは、この教会のミサだったそう。そして次のイタリア文学作品として有名な「デカメロン」作者のボッカチオが、「神曲」を朗読したこともあるそうです。
教会は無料で見学ができますが、普段公開されていない1400年代の有名建築家ロッセッリーノにより作られたオレンジの中庭は、有料で日時限定で見学ができます(毎週月曜の15時~17時30分、3ユーロ、要予約)。ヴェッキオ宮殿やバルジェッロ博物館にお越しの際は、合わせて訪問してみてください。
文・写真/中山久美子
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。イタリアの美しい村30村を紹介した「イタリアの美しい村を歩く」を東海教育研究所より出版。