フィレンツェの穴場教会④、サンタ・フェリチタ教会
Buon Anno a tutti! あけましておめでとうございます!
このメールマガジンのコラムを書かせていただい5年目を迎えました。今年もどうぞよろしくお願い致します。
2025年最初の記事は、三年前に紹介していた「ガイドに載っていないフィレンツェの穴場の教会」シリーズを再スタートします。ドゥオモやサンタ・マリア・ノヴェッラにサンタ・クローチェとフィレンツェには有名芸術家の作品が残り観光スポットとして人気の教会も数多くありますが、それ以上に知られていない珠玉の教会も数多くあります。
今回ご紹介するのは、サンタ・フェリチタ教会。ヴェッキオ橋から至近なので今までフィレンツェに来られた方も近くを通ったことがあるのではないでしょうか?広場の奥にあるので、この教会に気づくこともなくそのままピッティ宮殿の方へ向かっていく方のほうが多いのかもしれません。まず注目したいのは!ファサードの中央に帯のように通っているもの。これはかのヴァザーリの回廊。メディチ家の君主が、執務の場であるヴェッキオ宮殿と住まいであるピッティ宮殿を行き来できるように回廊なのです。最近、一般公開が再会したばかりで、この教会の部分も通過されると思います。教会がある場所には扉がついており、下に下りずしてここからミサに参加していたそう。そんな時代を想像するだけで、歴史好きの方は特に悶絶してしまうと思います。
そんなメディチ家ともゆかりの深い教会ですが、起源はなんとローマ時代から。かつての教会があった場所にこの教会が建てられたのは1955年、旧市街の中では最も古い教会の1つとなっています。1384年のペストではこの教会で病人を受け入れ、そして死人から感染しないように石灰をかけて埋葬していた記述が、ボッカチオによって記されているそうです。
当初はロマネスク様式だったこの教会も、ペスト後にゴシック様式に建て替えられますが、現在の姿は18世紀の大改築で、1500年代後半の様式をモデルにしたものです。この改装で手を付けられなかったのは、入って両脇の礼拝堂と、ファサード裏と1600年代製作の内陣席だけだそうです。
そして、この大改装で手を付けられなかった礼拝堂の1つが、入って右側のバルバドーリ・カッポ―ニ家の礼拝堂。この礼拝堂は、1400年代にかのブルネッレスキがバルバドーリ家のために設計したもの。その後、カッポ―ニ家に売却され、1525年からポントルモに中の装飾を描かせます。その作品が、いかにもポントルモ、いかにもマニエリズムらしい「キリスト降架」で、淡い色彩でなんだか夢の中にひここまれたかのように感じられます。その右側の受胎告知もポントルモ、また天井四隅にある四使徒のメダルは、ポントルモと弟子のブロンズィーノの作品です。
一方、入って左側はカニジャーニ家の礼拝堂、身廊左右はこの教会の名前にもなっている聖女フェリチタなど聖人にささげる礼拝堂となっています。
そして主祭壇は、グイッチャルディーニ家の所有です。教会内の後陣や翼廊などに有力家系の礼拝堂があるのはよくありますが、主祭壇、この場合は大礼拝堂と呼ぶようですが、有力家系の礼拝堂とは初めて聞きました。政治界で名をはせたグイッチャルディーニの名は、まさにこのサンタ・フェリチタ広場に面した通りの名前にもなっています。
その他、聖具室や司教座聖堂参事会室にも1300~1400年代の芸術作品が残っていますが、私が訪問した時は入ることができませんでした。しかし、教会内部だけでも十分見ごたえがあり。無料で見学できるので、近くを通る際にはぜひ立ち寄ってみてください。
文・写真/中山久美子
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。イタリアの美しい村30村を紹介した「イタリアの美しい村を歩く」を東海教育研究所より出版。