ミケランジェロの「秘密の部屋」

ミケランジェロの「秘密の部屋」

フィレンツェの旧市街、メディチ家の菩薩寺として知られるサン・ロレンツォ聖堂。その後側に建設されたメディチ家の礼拝堂は長年の修復を終え、未完成ながらも豪華絢爛な君主の礼拝堂、そしてミケランジェロの彫刻が残る新聖具室には多くの観光客が訪れています。しかしその下の小さなスペースについて知る人はごくわずか……そう、それがミケランジェロの「秘密の部屋」。彼は1527年~30年のメディチ家が追放されていた時に共和国派の都市計画に参加していため、メディチ家出身のクレメンス7世からの迫害を恐れ、ここに1530年6月~10月まで身を隠していました。1950年までは炭の保管庫として使われていた後は放置されていましたが、身を隠していたミケランジェロが壁に描いたデッサンが1975年に発見されたのです。

新聖具室の下、10×3mの小さなスペースゆえ、一般公開は今まで行われていませんでしたが、2023年秋から実験的に特別見学が開始されました。知った時はすでに売り切れだったものの、1月、期間延長を聞くや否や電話をして奇跡的に予約がとれたのは5月。30分おきに4人という少人数のため、もう少し遅れていれば取れていなかったかもしれません。

ミケランジェロの「秘密の部屋」

チケットにはメディチ家礼拝堂も含まれていたので、先にそちらから見学しました。2013年から8年をかけて行われた修復後、メディチ家の贅を尽くした重厚な空間が輝きを取り戻しました。しかしこの礼拝堂は1600年代の建設開始から工期が長引くにつれメディチ家の情勢も変わり、結局未完成に終わっています。天井のフレスコ画は1800年代初め、床のモザイクに至っては1962年の完成。祭壇の貴石芸術、その裏の左右にある聖遺物コレクションやメディチ家が輩出したレオ10世、クレメンス7世にまつわる物品も見どころです。

ミケランジェロの「秘密の部屋」

ミケランジェロ設計の新聖具室は、この礼拝堂とは対照的に白の大理石で統一された空間。ここはミケランジェロの彫刻コレクションで、写真はロレンツォ・イル・マニーフィコ(豪華王)の末息子で法王レオ10世の弟であるジュリア―ノの墓。下の左は夜を表す女性像、右は昼を表す男性像が横たわっています。その対面にはロレンツォ・イル・マニーフィコ(豪華王)の孫であるロレンツォの墓で、こちらは下に曙を表す女性像、黄昏を表す男性像が横たわっています。この2つの墓の間には、ロレンツォ・イル・マニーフィコ(豪華王)とその弟で「パッツィの陰謀」で殺害されたジュリア―ノの墓が。こちらは聖母子像だけがミケランジェロの作品です。

その後に秘密の部屋の見学者集合場所へ戻ると、なぜか他の2名が姿を現さず、私たちだけ2人の独占見学、しかもガイド同行でとても贅沢な時間となりました。新聖具室に戻って祭壇横のスペースの小さな階段を下ると、そこがすぐ、あのミケランジェロの秘密の間(TOP写真)。下からのライトアップで、500年以上前の素描が浮かび上がる空間はとても神秘的でした。

ミケランジェロの「秘密の部屋」

ガイドさんによると、素描は自身のそれから後の作品の下書きや、それまでに見た自分以外の有名作の模写。たとえば新聖具室にあるジュリア―ノの像の膝から下の部分、向きは逆であるもののジュリアーノ像の下にある夜を象徴する女性像の顔です。そしてローマのヴァチカン博物館にあるラオコーン像の顔。あくまで推測ですが、薄暗い中で隠れながら創作活動をしていたミケランジェロを想像すると、とてつもないロマンを感じます!

ミケランジェロの「秘密の部屋」

こうして贅沢な時間を過ごして外に出て、サン・ロレンツォ聖堂の方へ向かうとふと右側に、重厚な格子が取り付けられた小さな窓が・・・そこがあの秘密の部屋。ミケランジェロは時々この窓の隙間から外を眺めては、通り行く人の顔や体も参考にしていたのではないか?とのガイドさんのコメントを思い出し、また妄想にふけってしまいました。

※2024年6月末までだった特別見学も、現在また延長となったそうなので、これからフィレンツェに行かれる方はチェックしてみてください!


文・写真/中山久美子
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。イタリアの美しい村30村を紹介した「イタリアの美しい村を歩く」を東海教育研究所より出版。