柱廊の町・州都ボローニャ

エミリア街道をゆく① 柱廊の町・州都ボローニャ

エミリア街道とは、その名が州の名前にもなっている中部・エミリア=ロマーニャ州にある古代ローマ時代の街道の1つです。現在のエミリア=ロマーニャ州を東西に走り、全長は約270㎞。紀元前268年に東の海岸沿いにリミニを、紀元前218年のピアチェンアを建設し、その二都市をつなぐ街道は当時の執政官の名前からエミリア街道と名づけられました。街道沿いに建設されて発展し、今も存在する町を1つづつ紹介していきましょう。

1回目は、世界最古の大学の町としても有名な州都ボローニャ。エミリア街道開通の2年前、紀元前189年に誕生しました。エミリア街道の中心で、そこから南北の街道とも結ばれたこともあり、現在でも高速道路や鉄道網のハブ(交通結束点)になっています。ローマ帝国衰退後はロンゴバルド王国支配下に入りますが、1116年5月15日にボローニャ自治都市に。その前の1088年の大学設立や1257年の奴隷解放令などで独自の政策を打ち出し発展してきましたが、1507年には教皇領そして1796年のナポレオン侵攻を経て、1860年にイタリアに統一されました。

柱廊の町・州都ボローニャ

町の中心は大聖堂や市庁舎、ポデスタ館に囲まれたマッジョーレ広場。1390年から300年近くかけて建設された聖ペトローニオ大聖堂は、ファサードは未完成ながら内部は豪華な礼拝堂が連なり、世界最大の日時計もここにあります。1530年には、教皇クレメンス7世による神聖ローマ帝国カール5世の戴冠式も行われました。

柱廊の町・州都ボローニャ

他にサン・ドメニコ教会やサン・ジャコモ・マッジョーレ教会など、大きく威厳ある教会が数多くありますが、私のお気に入りはこじんまりとしたサント・ステファノ教会群。群、と呼ばれるのは時代が異なる7つの教会を2つの中庭と合わせたものだから。一番古いものは4世紀まで遡り、ロンゴバルド、ロマネスク、ルネサンス様式と様々な時代の建築様式を見ることができます。

柱廊の町・州都ボローニャ

教会以外の見どころは斜塔。斜塔というとピサを連想される方が多いと思いますが、ボローニャにも斜塔があるんです!ピサの斜塔はドゥオモの鐘楼ですが、ボローニャの斜塔は皇帝派だった貴族が独立して建てたもの。イタリア各地で皇帝派と教皇派が争っていた12世紀、権力を表すものとして高い塔を建てたのです。今も残る2本の塔で、斜塔と呼ばれるアシネッリの塔はなんと97m、498段の階段で上まで上がることができますが、私が訪れた2025年2月当時は修復で上からのパノラマは見ることができませんでした。ちなみに低いほうのガリセンダの塔は48m、傾きすぎて高さを削ったと言われています。

柱廊の町・州都ボローニャ

町全体に張り巡らされた柱廊は、もう1つのボローニャのシンボル。正式な記録は1041年、その前から公地の上に私有の建物の2階を張り出して内部面積を増やす建築が多くなり、当時は木製の突っ張り柱で支えられていました。その後、ボローニャ大学の設立で人口が急増して居住面積を増やす必要もあり、1288年には新築の建物に柱廊を義務付ける法令が出されてから一気に広まり、今に至ります。歴史の中で、サイズや材質の規格が決められたり、アイデンティティを保つために柱廊をつけない邸宅を望む貴族が出現したりと紆余曲折はあったものの、2021年には世界遺産に登録された柱廊。私が訪れた時は小雨が降っていたものの柱廊のおかげで傘をささずに散策ができ、または暑い日に日差しから守ったり。機能的な役割も果たしています。
最後に忘れてはならないのが、ボローニャの食。ミートソースのボロニェーゼのタリアテッレやラザニア、詰め物パスタのトルテッリー二などのパスタ料理やモルタデッラなど、美味しいものの宝庫。旧市街はそれほど広くなく半日でも周れますが、ボローニャ観光では食事を必ず入れることもお忘れなく!

柱廊の町・州都ボローニャ

日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。著書に「イタリアの美しい村を歩く」、「イタリア流。世界一、人生を楽しそうに生きている人たちの流儀」など。