オルチャ渓谷

トスカーナおらが村便り| Mail Magazine 1 luglio 2020

「オルチャ渓谷」という地域をご存じでしょうか?なだらかな丘や糸杉の美しい田園風景が広がり、2004年にユネスコ世界遺産にも選ばれているトスカーナ・シエナ県南部の地域です。カレンダーや写真集、CMなどでもお馴染みの風景も多々。具体的には、単独でも世界遺産のピエンツァ、ブルネッロワインで有名なモンタルチーノ、サン・クイーリコ・ドルチャ、カスティリオーネ・ドルチャ、ラディコーファニの5つの市から構成されています。幸運なことに、カスティリオーネ・ドルチャの分離集落ヴィーヴォ・ドルチャに夫のおばあちゃんがいたため、私は2001年からプライベートで、近年は通訳アテンドとして、幾度となく通っています。しかし、何度行っても、何枚写真を撮っても、初めて行った時と同じ感動がこみ上げてくるほど、本当に、本当に美しいエリアなのです。

ピオ2世広場

中心的な町は、やはりピエンツァ。ここは法王ピオ2世の故郷で、「理想都市」として再建された町です。彼の名がついたピオ2世広場には、美しいドゥオモと、彼の家系であるピッコローミニ宮があり、見どころもたくさん。世界遺産となってからは世界中からたくさんの人が訪れ、更にハイシーズンでは日本人団体ツアー客まで見るようになりました。そしてそれらの期待に応えるかのように、かつての農家はリゾートホテルのようなアグリツーリズモ(農家宿泊)となり、ワイン農家の直売所がオシャレなワインバーとなり・・・地域振興には経済の活性化は不可欠なので、それはそれで喜ぶべきことななのかもしれません。しかし、オルチャ渓谷の魅力はそれだけなのでしょうか?この地に生まれ育ったおばあちゃんの話を聞きながら、この20年近く変遷を見てきた私には、ちょっとした違和感も感じるのです。

オルチャ渓谷

トスカーナを始めとするイタリア中部では、中世から1960年代まで、地主と小作人が農業生産物を折半する「折半小作制度」が行われていました。4月22日のメルマガに書いたように、おばあちゃんはこの折半小作制度下に置かれた農家の生まれ。他の8人の兄弟とともに学校も行かず農作業に従事し、ルネサンス期に「善政」の象徴として讃えられていた美しい自然、しかし農業的には決して豊かではない土地を耕し、限られた中でいかに生き延びていくかを追求してきたのです。良くも悪くも、折半小作制度により大幅な農地改革が行われなかったため、昔からの自然環境は守られてきました。そしてこの制度がなくった後も、いかにこの自然環境を壊さず開墾し、発展させてきたのか・・・・現在のオルチャ渓谷の景観は、こうした先人たちの長い苦労の賜物なのです。

オルチャ渓谷

つまり、世界中の人が見に来る美しい絵画のような風景も、彼らにとっては当たり前の日常の風景。このオルチャの大地は、ここで生きてきた、自然と調和した、いや調和せざるを得なかった、彼らの生き方そのものだから。実際、世界「自然」遺産と思われがちですが、世界「文化」遺産である理由はここにあります。世界遺産の絶景ツアー、田園リゾートに優雅に宿泊、だけのオルチャ渓谷のプロモーションは、一番大事な本質が欠けている・・・そう言う私も、自分のサイトや寄稿記事において、そういうアプローチをしがちだったことに気づきました。

貧しきオルチャ

そんな時にたまたま見つけたのがこの本、その名も「貧しきオルチャ」。厳しく貧しい生活だったからこそ、豊かな知識が生まれる。それは生き延びるための知恵であり、手仕事であり・・・まだ読み始めたばかりですが、おばあちゃんを始め、この地に昔から生きてきた人の姿が重なります。世界遺産を相手に何とも僭越ではありますが、「貧しさゆえに生まれた真のオルチャの姿を、日本語でいかに伝えていくか」・・・これからの私の、大きな課題となりました。


文・写真/中山久美子
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。https://toscanajiyujizai.com/