シエナ

永遠の憧れ”シエナ”

イタリアオリーブオイル~Chiacchiere!/Mail Magazine 03 Febbraio 2021

シエナへ行ったことはありますか?
シエナはフィレンツェから南東に60キロ、フランス街道と呼ばれた遠くフランスからローマに通じる街道上の町として中世に息を吹き返した世界遺産の街です。

イタリアを縦断する重要な交通の要衝にあったことが、シエナの町の発展には大きな意味をもっています。南からはアラビアの商人がやってきて活発に商売を行っていたり。その証拠にシエナの旧市街の外には、今でもアラブの商館が残っているんです。

シエナのカモッリア門

フィレンツェからシエナに通じる道の終点にカモッリア門という門があり、その門のアーチ状の壁にラテン語で

「シエナがあなたに対して開いている心は、この門よりも広い」

という言葉が刻まれています。この言葉はシエナの市民意識の一面をよく表していると思います。そこには熱烈な愛郷心をもちつつ、他者への冷静な配慮が見られるのでもあります。市民が自分の殻を破って異文化から学ぼうという姿勢は、パリオ祭の優勝旗の図柄を描くチャンスを外国人にも与えていることでもわかるのですが、実は日本人画家の千葉勝さんが1975年の優勝旗を描いたことでも知られています。
パリオに関しては以前にも簡単に取り上げたことがありますが、地区対抗の馬のレースのことで、そこからレースを中心とした祝祭をパリオと呼ぶようになりました。)

「シエナの名物料理」

シエナには、中世に生まれ今も市民に親しまれている食べ物があります。

① カントゥッチ
カントゥッチ

シエナのお菓子屋さんはもちろんのこと、このごろはローマやミラノの空港の免税店でも買えるシエナ発祥のアーモンドが入った、固いビスコッティのお菓子です。少々固く食べ難い方もいらっしゃるかもしれませんので、ヴィンサント(後述あり)というデザートワインに浸して食べると相性抜群です。

② ピチ
ピチ

うどんにとてもよく似た手打ちパスタです。
ピチは昔の農民のごちそうであり、今でもお祭りの際の宴会には必ず出されるほど民衆に愛されている一品です。ピチは色々な味でお楽しみ頂けるのですが、王道のトマトソースとの相性good。リコッタチーズとバジリコでベーシックにいただくのも良いですよ。

③ ヴィンサント
ヴィンサント

ワインの一種で、シエナを中心にトスカーナでよく飲まれるお酒です。
収穫した葡萄を陰干ししてレーズン状になったものを醸造して作るため、当然ワインよりもアルコール度も糖度も高くります。シエナではこれをどんな家庭でも常備し、客を迎えたらまず一杯すすめるというのが礼儀となっています。ヴィンサントという名前の由来には諸説あるのですが、最も有名な説は1439年にフィレンツェでローマ・カトリックとギリシア正教会の宗教会議が行われ、会議のあとで開かれた宴会の席でギリシアからきた神父の一人が、飲んだヴィンサントを指して 「Vino di Xantos ! これはサントス(ギリシアの地名)のワインだ」と言ったことからヴィンサントと呼ばれることになったといわれています。

「シエナ弁はイタリアの標準語だった!?」

イタリアにはどの地域にも方言があります。
どこの町が標準語か?とよく議論になることがありますが・・個人的にはトスカーナが比較的標準語に近いと思っています。
というのも、シエナ市民が胸を張ってよく話す自慢話があるのです。
それはダンテも認めた美しいイタリア語を話すシエナの人々の話です。シエナではダンテが俗語を使って「神曲」を書く以前にすでに俗語の文書が使われていたといわれています。シエナの銀行家たちが、ヨーロッパの各都市から家族に送った書簡のなかにその証拠が見つかったといわれており、シエナは話し言葉においても書き言葉においてもイタリア語の先進地域であったとされています。

ダンテ神曲

そしてシエナを含むトスカーナの俗語からイタリア語が誕生し、現代の標準語に受け継がれているようです。そんなセネーゼ(シエナ人)達も多少、発音が訛ってしまうことはありますが・・・そこは愛嬌ということで。

「世界最古の銀行はシエナにあり」

封建制度の時代のシエナは農村に経済の基盤があったのですが、11世紀ごろから都市が発達し、貨幣経済が普及したことで織物業が盛んになり、原料の羊毛を輸入して梳毛、染色、機織りと加工し、付加価値をつけて輸出し始めました。
さらにシエナは交通の要衝という地の利を生かして富を蓄積し、その富を金融業で有効に利用していきました。通商の世界はヨーロッパ全土から東方の諸国にまで広がっていたようです。

ユーロ札

1472年にモンテ・デイ・バスキ・ディ・シエナという銀行がシエナの市内に創設されました。この銀行は現存する中で世界最古の歴史を持つ銀行といわれており、今でもサリンベーニ広場の歴史的建造物として知られております。
パスキというのはパスコリ(牧草地)のことで、市税の最も大きな収入源がバスコリ稅であったことや、シエナの支配する地域が西はマレンマ地方からエミリア・ロマーニャの国境まで広がり、すべて牧草地に囲まれていたことからパスコリという名をつけたといわれています。
数百年の歴史を経てモンテ・デイ・バスキ銀行はペストによる人口の激減、多くの戦争など幾多の危機をくぐり抜け生き残っているのです。

パリオ祭

1939年の定款(1950年に一部改定し、現在に至る)には会計処分後の純利益の倍以上をシエナ市並びにシエナ市所管の機関に還元することと決められています。この財源があるからシエナ市は莫大なお金のかかるパリオ祭の開催もでき、民俗衣装の保存と管理、美術作品の修復、街の景観の保全、各国との文化交流、文化団体へのサポート、そして老人ホームの建設と、あらゆる文化、福祉事業にお金が出せるのです

文/アドマーニ