心に刻む巡礼路 「Via Francigena」

【第二話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

イタリアを横断し、その終着点がローマである道と聞けば、皆さま何を思い浮かべますか?「全ての道はローマへ通ず」とも言われ、「街道の女王」として知られる“アッピア街道”は多くの方になじみ深いものであると思います。ローマ帝国の全盛期の象徴として、もともとは軍事的な目的や通信・交易を目的として建設されたものですが、やがて文化交流や巡礼において重要なルートとなっていきました。そんなローマからイタリア南部へと続くアッピア街道と対照的に、イタリア北部からローマへと続く道にも魅力的な歴史や伝統を持つものがあるのをご存知でしょうか? ”Via Francigena(ヴィア・フランチジェナ)”、「フランスの道」を意味するこの道は、古代から続く歴史的な旅路であり、今日でも多くの人々を魅了し続けるキリスト教の巡礼路です。

ヨーロッパの北西部とキリスト教の首都であるローマを結ぶ約2,000kmにもなる長距離ルートとして、中世より数多くの巡礼者や旅人によって利用されつつ、様々な価値観や文化・伝統を結び付けてきました。この道は、単なる旅の手段に留まらず、歴史と文化、信仰と精神性が交差する場でもあります。巡礼者たちは、この道を歩みながら、自然の美しさと歴史的な遺産に触れ、内なる旅を体験すると言えるのです。今日はそんなイタリアを通るいくつかの巡礼路のうち、ヴィア・フランチジェナについて少し詳しく見ていきたいと思います。

ヴィア・フランチジェナは、イギリスのカンタベリー大聖堂を起点としてフランスとスイスを通過し、アルプス越えを経てイタリア北部に至ります。そこからはトスカーナ地方を抜けて聖地ローマへと修道院を結びながら続くこの道は、聖職者や巡礼者がローマ教皇庁や聖ペテロと聖パウロの墓を訪れたいという目的を果たすために重要な役割を果たしました。ヴィア・フランチジェナという名前は、トスカーナにあるサン・サルヴァトーレ修道院にある876年の羊皮紙に記されているものが初めての記録ではないかという説もありますが、10世紀末のカンタベリー大司教シゲリッチの記録や、12世紀のアイスランド人旅行者ベルクソンやフランスのフィリップアウグストゥスによる旅の記録などで、その存在を知ることができます。

時代を経る中でいくつかのルートがあったようですが、イタリアへ入るまでの道のりを見ても、フランスのシャンパーニュ地方やブルゴーニュ地方の美しい風景、スイスのアルプス山脈の壮大な景色、イタリアのトスカーナ地方の美食と美酒、そしてローマの古代遺跡やバチカン市国など、数々の見どころがヴィア・フランチジェナ沿いに点在していることを思えば、巡礼路の中でも抜きん出て人々を魅了してきたのは言うまでもありません。
イタリアの区間でヴィア・フランチジェナが通るのは、ヴァッレ・ダオスタ、ピエモンテ、ロンバルディア、リグーリアの北部州からエミリアロマーニャ、トスカーナ。直線距離で約1,200kmを進んでローマへと辿り着きます。風光明媚なルートを通る壮大なるこの旅路を、聖地ローマへと巡礼者の証である十字架を胸に古代から多くの巡礼者が通ったのだと思うと感慨深いものがありますね。

現代においても、ヴィア・フランチジェナはその歴史的な遺産や美しい風景、そして巡礼の精神を求める人々にとって人気のあるルートです。特にウォーキングやサイクリングなどのアクティビティを通じて、自然と歴史を満喫することができるため、キリスト教徒以外の人々にも多く愛されています。地域の観光振興や文化交流にも貢献し、地元の経済にもプラスの影響を与えていると言えそうです。特にトスカーナ地方は人気が高いこともあり、ルッカやヴィテルボからローマ、サンミニアートからシエナなどのガイド付きツアーは多く開催されているのを見つけることができます。そしてなんと、ローマまでの最後の100kmを1週間で歩き切ると認定証がもらえるんだとか。スペイン・サンティアゴの巡礼路がそうであるように、苦労して辿ったという事実が形として残るのは達成感があって嬉しいものです。

ヴィア・フランチジェナは単なる道ではなく、歴史と文化、そして人々の交流を象徴するものです。その長い歴史の中で培われた魅力は、今もなお多くの人々を惹きつけ、イタリアの美しい風景と歴史的な遺産を楽しみながら、心の旅を求める人々に深い感動を与えています。次回はヴィア・フランチジェナが通るイタリアの街をピックアップして覗いてみたいと思います。どうぞお楽しみに。

文責/アドマーニ