イヴレーア

イヴレーア(Ivrea)

【第八話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

アオスタの山々を超え、まだまだ巡礼路は続いていきます。たどり着いたのは、ピエモンテ州トリノにある人口約2万人の町イヴレーア(Ivrea)。アオスタ渓谷の入口からほど近い、標高約267mに位置し、ポー河の支流であるドラ・バルテア川が流れています。その街並みは中世の美しい様相を残しており、2018年7月1日、ユネスコ世界遺産に登録されています。氷河期に川の流れによって、周辺には数多くのモレーン(氷堆積)地形が作られたと考えられており、氷河期が終わって溶け出した氷で数多くの湖が形成されました。現在もシリオ湖、サン・ミケーレ湖、ピストーノ湖、ネロ湖、カンパーニャ湖の主に5つの湖が町を囲んでおり、少し足を伸ばせば、その他にも小さな湖が点在しています。

町の古代名はエポレディア(Eporedia)といい、現在でも呼び名としてよく使われています。紀元前5世紀頃、ケルト系民族によって建設されたため、その名はケルト神話の神エポナ(Epona)に由来しているのです。エポナというのは、後にローマ宗教に受け継がれたケルト宗教の神で、馬とラバを従える女神のこと。豊穣を司るとされており、後にこの町を植民地としたローマ人は、この名前をラテン語化し、イポレイア(Iporeia)→イヴレイア(Ivreia)→イヴレーア(Ivrea)と変化させたのだそう。
イヴレーアの名物は、他の町のものとは少し違ったカーニバルです。何が違っているのかというと、カーニバルのテーマが、“町の男と婚約した粉屋の娘ヴィオレッタが、初夜権を主張する領主の要求に反抗する”という伝説に基づいているということ。この物語の内容を簡単に見てみると、招待に応じるふりをして、領主の城に向かったヴィオレッタは髪に隠し持っていた短剣で領主を殺し、税に苦しんでいた民衆に貴族に対する蜂起の合図を送るというもの。この伝説が語り継がれる背景には、自由に対する強い思いがあり、それがカーニバルのテーマに込められているのです。毎年イヴレーア市民の中から誰かがヴィオレッタ役を演じ、忠実さと純潔を示す白衣を身につけます。また反乱のヒロインである彼女は、イタリア国家統一運動にちなんで三色旗を思い起こさせる色も身にまとうのだそう。そして伝説の物語に従い、実際にこれから結婚する女性がこの役を担うのです。

19世紀、ナポレオン支配下において、秩序を強化する目的で祭りの統一が行われました。その為、軍服を着用し、ナポレオン当局を象徴的に表現する側面も残っています。カーニバルの3日間、テーマである伝説と軍服に身を包んだ人々が織りなす、伝統的なパレードが山車や楽団と共に市街地を練り歩きます。行列のパレード中、祝祭のヒロインであるヴィオレッタが通り過ぎる時、人々は大きな拍手と歓声を贈ります。山車には花嫁や花婿の付き添い人などが乗り、キャンディーやミモザの小枝を撒きながら進んで行きます。
イタリアのカーニバルといえばヴェネツィアのもの、というイメージが私たち日本人には強いかもしれませんが、同じイタリアの中でも街によって全く違う雰囲気を楽しむことができるのですね。

さて、イヴレーアのカーニバルが珍しいのはパレードだけではありません。カーニバルの中で、イヴレーア名物“オレンジの戦い”が始まります。戦いは町の主要な広場で山車と地上のチームに分かれて行われます。3日続けて行われ、熱意、技術、忠誠心において、最も優れていたチームが審査員によって選ばれ、賞を授与されるのです。この行事の起源は定かではありませんが、19世紀に富裕層の豆祭りにおいて、馬車と人々の間で遊び半分に豆を投げ合ったことや、元々バルコニーから豆を投げる習慣があったことが関係していると考えられています。オレンジの戦いは、終了後に街路や広場を完全に覆ってしまうほど大量のオレンジが使われることや、怪我人が出ることなどの理由によって、批判の声もたくさん上がっているものの、その人気は年々高まり参加者は増加し続けているんだとか。
カーニバルのテーマとして受け継がれる思い、そして現代のイヴレーアの人々の祭りに対する情熱。熱気漂う町を通る巡礼者たちの歩みは、どこか高揚感を伴う瞬間があるかもしれません。この街でエネルギーを得て、次なる目的地に向けて巡礼の旅を進めていきましょう

文責/アドマーニ