Gran San Bernardo
【第六話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~
巡礼路Via Francigena 特集として、前回まではトスカーナ周辺のコースを紹介して参りましたが、ここで一旦北の方へと戻ってみましょう。Via Francigena 上、イタリアに入る最初の通過点である“Gran San Bernardo”(グラン・サン・ベルナルド)渓谷をご紹介します。
グラン・サン・ベルナルド渓谷は、スイスとイタリアとの国境にあるアルプス山脈の渓谷を指します。巡礼路の一つであるだけでなく、古来より何世紀もの間、アルプス山脈を越え、イタリアとヨーロッパを結ぶ商業的・軍事的に非常に重要な連絡路として使用されてきました。渓谷にある遺跡の存在からも分かるように、古代ローマ人やそれ以前の先史時代の人々にも既に使用されており、また1800年にナポレオンがイタリア遠征の為に4万人の軍勢を率いていったのも、このグラン・サン・ベルナルド渓谷からでした。
現在ではトレッキングの名所として有名で、各々の体力にあわせ、様々なコースを選ぶことが出来ます。
標高2540メートルの峠まで続く、石だらけの険しい道を行くコースから、子供連れでも楽しめるコースまであり、その種類は実に豊富です。最も簡単なものでは、ベビーカーを押しながらでも簡単な散策ができるコースまであります。アクティビティーとしてのトレッキングとは別の観光地としては、まず渓谷内屈指の名所、サン・ベルナルド峠が挙げられます。“冷たい盆地”の異名を持つこの峠は、渓谷の中で最も有名な観光地で標高は2473メートル。この標高では、気温は氷点下40度に達し、降雪・降雨量も多くなります。その為、冬にこの峠に立ち入ることはほとんどできませんが、夏には涼しく、峠の頂上で山頂に囲まれた湖の素晴らしい景色を眺めることが出来ます。この気候がこの地域の特産品である生ハム“Jambon de Bosses”(ジャンボン・ド・ボス)の熟成に適しており、その産地としても有名です。
またこの渓谷の見どころは自然だけでなく、ヨーロッパの歴史において重要な役割を果たした村々にもあります。そのいくつかをご紹介いたしましょう。
Saint rhémy(サン・レミー)
サン・レミーは標高1632メートルに位置し、サン・ベルナルド峠前にある最後の村です。この村は馬を交換し、後に続くより過酷なルートを進む前に休息をとるための重要な中継地点でした。この村では通行料が徴収され、立ち寄った人々には軍隊指揮官、巡礼者、そしてナポレオンもいました。今日では、非常によく整備され、美しい田園風景が広がっています。
Etroubles(エトルーブル)
エトルーブルは中世から存在する歴史ある村です。現在では人口わずか500人ですが、イタリアで最も美しい村のひとつに数えられており、渓谷で唯一の野外美術館があります。そのため、いたるところで壁画や彫刻を鑑賞することができます。またエトルーブルにある酪農場はその歴史を1853年まで遡ります。現在では、バターやセラ(リコッタチーズの一種)など、地域の代表的な製品製造の過程である牛乳処理の様々な段階を紹介する博物館となっています。見学できる道具は昔使われていたもので、200年近く続く酪農の歴史を観察することが出来ます。
さて、このグラン・サン・ベルナルド渓谷の名前は、渓谷での遭難者の救援に尽力して、のちに聖人とされたBernard de Menthon(ベルナール・ド・マントン、聖ベルナール)に由来しています。18世紀まで、毎年2万人もの人々がグラン・サン・ベルナルド渓谷を越えようと通過していましたが、遭難者も多く、大きな問題となっていました。そこで、アオスタ大聖堂の助祭長であったベルナールは、渓谷に遭難者の保護を目的とした建物を建設し、宿泊と食事を提供しました。また、遭難者の救助の際、修道院で育てられていた大型犬たちに樽に詰めた食料や薬を届けさせ、多くの人の命を救ったのです。この犬種は元々、ローマ帝国の軍用犬としてアルプス地方に連れてこられた大型犬でしたが、この救助での活躍から、渓谷の名前にちなんで『セント・バーナード』(サン・ベルナルドの英語読み)と呼ばれるようになりました。
豊かな自然と特産品に囲まれた巡礼路は美しく興味深いですが、より過酷なものでしょう。しかし、そこで起きた歴史的出来事に目を向けてみると、人類の相棒とも言われる存在が現れるというのには何か勇気づけれられるものがあります。もしこのグラン・サン・ベルナルドの巡礼路をいかれることがあるならば、是非その歴史に想いを馳せて頂き、道中のお供として頂ければ、嬉しく思います。
文責/アドマーニ