ギルランダイオが描いたサン・ジミニャーノの小さな聖人

ギルランダイオが描いたサン・ジミニャーノの小さな聖人

ギルランダイオ、自画像ギルランダイオの自画像とされる人物

サン・ジミニャーノの街はヴィアフランチジェナの途中、トスカーナ地方を行く部分の真ん中あたりに位置する街です。以前のコラムで街の紹介をしましたが、中世の街並みを色濃く残すこの街は、全体がユネスコの世界遺産に登録されており、特に古い搭の立ち並ぶ「搭の街」として知られています。現在は14本の搭が残されていますが、かつては72本もの搭が建てられていたそうです。街の中心には大聖堂(サンタ・マリア・アッスンタ参事会聖堂)があります。外装は薔薇窓が見えるだけで、これといった装飾がされておらず、質素に見えますが、中はフレスコ画で埋め尽くされており大変豪華で美しい教会です。この大聖堂の奥に、聖フィーナ礼拝堂があります。そこではドメニコ・ギルランダイオ作の「聖フィーナの葬儀」「聖グレゴリオのフィーナの病床見舞」を見ることができます。今回はこの作品の主人公、聖フィーナと作者ドメニコ・ギルランダイオにスポットライトを当ててみましょう。

スミレの花を持つ聖フィーナスミレの花を持つ聖フィーナ

聖フィーナは12世紀のサン・ジミニャーノに実在した少女です。貧しい家庭に生まれた彼女は、大人しく、信心深い少女でした。しかしフィーナは10歳を迎えるころ、全身が麻痺する病気を患い、ついには動かせるのは頭だけという状態に陥ります。更には闘病中に両親を亡くし、小さな少女にとってあまりに過酷な状況に陥りますが、フィーナはキリストの苦難をしのんで、ベッドではなく硬い樫の木の板の上で横になる決断を自ら下します。寝返りすら打てないフィーナの体は褥瘡ができ、次第に樫の木の板に貼りついていきます。それは生きたままネズミに食べられたという逸話が残るほど悲惨な状況で、その苦しみは計り知れないものですが、フィーナはそれすら「喜ばしい忍耐」であるとし、耐え抜いたのです。
フィーナの伝説には、いくつかの奇跡が残されています。まずは、彼女の病床に聖グレゴリオが出現して寿命を宣言したという話。更にそれから1週間後、その宣言通りに彼女が亡くなった際にはサン・ジミニャーノの街中の教会の鐘が自然に鳴り響いた上、美しいスミレが咲き乱れたという話です。更にフィーナの乳母ベルディアの指の麻痺が、フィーナの遺体に祈ることで噓のように消えた。という奇跡もあります。その話は町中に広まり治癒の奇跡を求めて多くの人がフィーナに祈りを捧げるようになりました。そうしてフィーナはやがてサン・ジミニャーノの守護聖人となります。一般的にあまり知られていない聖人ですが、サン・ジミニャーノの人々にとっては今なお大切にされているのです。

さて、大聖堂の聖フィーナ礼拝堂の絵を見ていきましょう。描いたのは、ドメニコ・ギルランダイオ。ギルランダイオ(本名:ドメニコ・ディ・トマーゾ・ビゴルディ)は1449年にフィレンツェで生まれた画家で、ドメニコ・ヴェネツィアーノやヴェロッキオなどの影響を受けますが、1470年ごろには独立した芸術家でありました。フレスコ画家としての才能を認められ、フィレンツェの上流階級や裕福な商人から多くの依頼を受け、肖像画や宗教画をたくさん描いています。

聖グレゴリオのフィーナの病床見舞《聖グレゴリオのフィーナの病床見舞》1477年頃
サンタ・マリア・アッスンタ参事会聖堂 サン・ジミニャーノ

《聖グレゴリオのフィーナの病床見舞》では聖グレゴリオが顔だけの天使ケルビムに支えられて、フィーナの元に出現する様子が描かれています。ここで注目したいのは、描きこまれたオブジェクトの緻密さと、バランスの取れた遠近法によって描かれた構図です。壁際に置かれたベンチにはいくつかのオブジェが配置されていますが、ザクロ・リンゴ・ワインはキリスト教におけるシンボリックな意味合いを持ちます。細工の施された大皿はギルランダイオが金細工師の家系の出身であることが関係ありそうです。(ギルランダイオとは金の花飾りの意であり、彼の父が得意としていた金細工からつけられたあだ名です)木のテーブルの下にはネズミが一匹描かれており、これはフィーナが生きたままネズミに食べられたという逸話によるものです。すべての登場人物の心は非常に落ちついており、聖グレゴリオの予言(彼女の寿命が残り一週間であること)を粛々と受け入れているように見えます。

聖フィーナの葬儀《聖フィーナの葬儀》1477年頃
サンタ・マリア・アッスンタ参事会聖堂 サン・ジミニャーノ

もう一方の絵、「聖フィーナの葬儀」を見てみましょう。こちらの絵は先ほどの絵に描かれた、小窓から見える遠景の風景描写とは異なり、柱の外に大きく描かれているのはまさしくサン・ジミニャーノの景色です。右側に描かれた大きな搭は「トッレ・グロッサ」と言い、サン・ジミニャナーノの搭の中で一番大きなものであり、この街を訪れると現在も見ることのできる搭です。
左側の尖った屋根の搭の横には天使が飛んでいるのが見えます。これは「聖フィーナが亡くなった際に町中の鐘が自然に鳴り響いた」という言い伝えを表しています。聖フィーナが横になるベッドには豪華な装飾の施された織物が敷いてあり、金の花柄の刺繍は「聖フィーナのスミレ」を想像させます。死んでいるはずのフィーナの手は乳母ベルディアの手の上に重ねられており、たった今治癒の奇跡が起きているところであることがわかります。

これらの絵は、ギルランダイオが個人の芸術家として最初に依頼を受けた作品であると言われていますが、表情の豊かさや、緻密さ、バランスの取れた遠近法などからはすでに、ルネサンスの芸術家としての成熟を見て取ることができ、彼の作品は後にレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロに影響を与えていくこととなります。
ギルランダイオはその後多くの作品において、15世紀当時のフィレンツェの風景や風俗、また絵の注文主の姿を宗教主題の作品の中に緻密に、そして正確に描きこむスタイルを得意とするようになります。彼の絵は「当時の風俗を伝える貴重な記録でもある」というわけです。初期に描かれた2枚の聖フィーナのフレスコ画においても十分にその片鱗を見ることができますね。

サン・ジミニャーノサン・ジミニャーノ

サン・ジミニャーノでは今でも、毎年11月に収穫祭とともに聖フィーナのお祭りが開かれます。そして、彼女の命日である3月12日には、1年にただ1度フィーナの生家のドアを開けます。教会では聖遺物が公開され、そして鐘を鳴らし、今年も街にスミレが咲いていることを確認するのです。小さな聖人は今なお、街の人々に愛され、守られ、伝えられているのです。そしてギルランダイオの作品は、緻密さと正確性、と鮮やかな色使いをもって聖フィーナの信仰深い姿を見事に描き出し、彼女の逸話と彼女に対する街の人の愛を伝えて続けています。サン・ジミニャーノを訪れた際は、街と深く結びついた少女の話に思いを馳せるとともに、ギルランダイオの絵が表す描写の力を感じてみてください。

文責/アドマーニ