静寂という豊かさ~フィレンツェ チェルトーザ修道院~
【宗教画:2】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~
先日、フィレンツェ近郊の街、プラートのご紹介をしましたが、またひとつ、フィレンツェ市内からバスに乗って行ける「チェルトーザ修道院」についてご紹介しようと思います。
フィレンツェから市バスにのり南へ30分。ガッロッツォーレの丘の上にその修道院はあります。修道院の歴史は古く、1341年に政治家であり銀行家でもあるフィレンツェの有力者、ニッコロ・アッチャイウオリ(Niccolò Acciaioli 1310-1365)によって創建され、カルトゥジオ会に寄贈されたことから始まります。チェルトーザとはカルトゥジオ会の修道院の総称であり、このフィレンツェのチェルトーザの他にも、パヴィアやナポリのものが知られています。
カルトゥジオ会は最も厳しい戒律を敷くカトリック宗派のひとつです。このフィレンツェのチェルトーザでもカルトゥジオ会の修道士たちは、沈黙を重んじ、聖務日課の共同祈祷の時間や、祭日や祝日の食事や会議を除いて、一切の会話を禁じられていました。日々、修道士たちは、それぞれに与えられた個室で、静かに神に祈りを捧げ、キリストの教えと向き合います。カルトゥジオ会は市民に向けたミサや伝導なども一切行わなかったため、完全に世俗と関わることなく、修道士たちは修道院の中で一生を終えます。
何世紀にもわたりカルトゥジオ会の修道士たちの静かな生活はこのガッロッツォーレの丘の上で続いてきましたが、1958年にカルトゥジオ会の縮小にともない、フィレンツェの修道士たちも別の修道院へ移動したことにより終わりを告げます。そしてこの丘の上の修道院は、シトー会の修道院となります。シトー会は、カルトゥジオ会に比べて市民に開かれており、所蔵書物や施設の公開が行われるようになり、完全に閉ざされていた修道院の中の様子を私たちも伺うことができるようになりました。現在はシトー会の修道士たちも去り、フィレンツェ大司教区に運営が任されています。
さて、この修道院の中を見学するには、一日に数回定められた時間に併せて訪問する必要があります。そこでは、中庭を取り囲むように並ぶ修道士たちの居室や、礼拝堂を見ることができます。静寂に包まれた石造りの建物の中を歩くと、そのひとつひとつの居室の中で、誰とも会話することなく、静かに神に祈りを捧げていた修道士たちの様子を想像することができるでしょう。
この修道院の絵画館では、ポントルモのフレスコ画5点と出会うことができます。もとは修道院の回廊に描かれていたものですが、今はこの絵画館に収められています。残念ながら保存状態があまりよくなく、多くの部分の色が落ちていますが、それでもその構図の大胆さと、人物配置、ポントルモらしい鮮やかな配色であったであろうことは伺い知ることができます。
ポントルモ(Jacopo Pontormo、本名:ジャコポ・カリッチ)は1494年にフィレンツェ近郊のポントルモ村に生まれます。父親も画家であったため、早くから絵画に親しみました。彼はアンドレア・デル・サルトやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロといった当時の著名な芸術家達から影響を受けますが、後に独自の画法を確立し、イタリアマニエリスムを先導する存在となりました
マニエリスムとは、16世紀初頭から中期にかけて、ルネサンス期に発展した「均整のとれた描写を追求する人物像」とは違うアプローチを目指した画風の総称で、意図的に誇張された形態や不自然なポーズ、強調された感情表現が特徴です。マニエリスムという呼び名は、イタリア語の「maniera(マニエラ)」に由来し、「様式」や「やり方」という意味を持ちます。もともとは、芸術家が独自のスタイルや個性的な表現方法を持っていることを指していましたが、後にルネサンス後期の美術や建築のスタイルを指す言葉として使われるようになりました。
フィレンツェのサンタ・フェリチタ教会のカッポーニ礼拝堂で見ることができる《キリスト降下(1528年)》は彼のもっとも有名な作品のうちの1枚ですが、ピンクやブルーの色彩の鮮やかさや、美しさを追求し誇張されて引き延ばされた人体表現に、フィレンツェのチェルトーザの5作品と共通する、ポントルモらしさを見ることができます。
ポントルモは、人付き合いがあまり得意ではなく、内向的な性格であったことが伝えられています。
屋根裏部屋で寝起きし、そこで制作活動を行い、自分が部屋に入ったあとは、誰も入ることができないように梯子を取り外していたというほど。晩年には特に孤独を好み、他者との接触を避けていました。ポントルモは1523年にフィレンツェを黒死病が襲った際、その脅威から逃れるためにチェルトーザで避難生活を送りました。その間に彼が大回廊に描いた作品が、先に紹介した5枚のフレスコ画です。修道院での避難生活の後、フィレンツェに戻ったポントルモですが、賑やかな街の生活は彼にとっては辛いもので、チェルトーザに戻ることを懇願していたそうです。他者との関わりを嫌い、孤独を好み、絵画の制作状況をも人に見せることを拒み、隠すように絵を描いていたというポントルモにとって、静寂の祈りの場であるカルトゥジオ会の修道院は、もっとも自らに適した理想的な居場所だったのでしょう。
フィレンツェを訪れる際は、ぜひバスに乗ってガッロッツォーレの丘を目指して下さい。そこには沈黙の中で一生を過ごした修道士たちを、また静寂を好んだ孤独な画家を優しく守った、美しい修道院があります。自然豊かであり、またトスカーナの美しい街並みを望むことのできるこの場所は、テクノロジーの中で忙しなく生きる私たちを立ち止まらせ、静けさという豊かさを教えてくれることでしょう。
文責/アドマーニ