「バルサミコとは」イタリア食材研究:5
「バルサミコ」の意味
イタリア語の”Balsamico”(バルサミコ)は、英語の”aromatic”(かぐわしい、芳香の)という言葉に対応します。バルサミコは、そもそも殺菌作用に優れた「酢」であるため、もとは薬用として評価が高いものだったのです。そして、媚薬としても有名でした。17世紀には、うがい薬にしたり、強壮剤、養毛剤として用いたり、疫病、特にペストに対する予防効果があるとして使用されました。その結果、持ち運びに便利なように小さな樽に入れて売られるようになったようです。取引先MALPIGHI(マルピーギ)社の研究調査結果によると、特にサクラ材の樽で長年熟成をさせたバルサミコには、ポリフェノール成分が大量に含まれるそうです。現在でもその名残なのか、メーカーによっては薬の瓶に似た形で売られています。
トラディツィオナーレ・バルサミコはワインと違い、まだ100%の成分分析は終わっていないそうです。というのは、化学分析によって70%以上の成分は生成過程が判明したのですが、残り30%は何故その成分が検出されるのか、未だ理由付けられていないそうです。トラディツィオナーレ・バルサミコの製造工程の中で、特に人間の行う作業といえば、代々語り伝えられる方法にのっとり、熟練した職人の手により樽を取り替えることだけ。モデナの厳しい気候下、屋根裏部屋に並べられた樽の中で、解明できないこの地特有のバクテリアの活動によって、自然に旨味成分が醸成されるのです。
このようなトラディツィオナーレ・バルサミコは、近年は生産量が激減していました。ところがフランス料理で台頭してきたヌーベル・キュイジーヌの料理人が、このたぐいまれな天然ソースに目をつけたといわれます。以来、高級料理の脇役には欠かせない調味料となり、今日の地位が確立されたようです。イタリア料理も例外でなく、「クチーナ・ヌオーボ」つまり、少量を美しく盛り付ける技法において大活躍しております。
リストランテで常備されるトラディツィオナーレ・バルサミコ ほとんど全ての料理が特製の12年熟成・25年熟成のトラディツィオナーレ・バルサミコによって最終仕上げをされ、サーブされたのですが、その使用量の少ないことには驚きました。それぞれのバルサミコ酢には、特製の注ぎ口「TIC」が取り付けられ、どう頑張ってもほんのわずかしか注ぐことができないようになっています。調理場から出るときは、ほぼ完成状態のディッシュがテーブルに運ばれて来ます。そこにカメリエーレがおもむろに、トラディツィオナーレ・バルサミコを「さっ」と一振り。これで料理の完成です。スプーンをそのまま口に運べば、トスカーナ産の最高級のオリーブオイルとマッチしたそのデリケートな味わいは、この上なく上品かつ豊かなものでした。
土地で採れるキノコのソテーをパルミジャーノと一緒に。そしてシンプルにグリルしたガンベロに。キノコとパルミジャーノの前菜ジェラートにも、もう定番です。それらの料理は、まさしく高級な味と呼ぶにふさわしい奥の深い味わい。オリーブオイル主体にシンプルな味付けだからこそ、この濃縮されたトラディツィオナーレ・バルサミコが持ち味を発揮できるという証明ではないでしょうか。サラダやアイスクリームに風味付けにほんの少したらすか、肉類の料理の仕上げに煮詰めてという使い方しか知らなかった私には衝撃的でした。
工場で大量に生産されるバルサミコ酢は、大きな樽で保管されるだけで当然樽の入れ替えは行われません。種酢(たねず)として長年熟成させたバルサミコを混ぜることもありますが、どうしても酸味が勝り、甘味も旨味も乏しいため、カラメルなどを加えて調整されているものが多いのです。多くのの料理人はそれらを使用する場合、火にかけて3分の1から4分の1程度に煮詰めて水分を飛ばし、さらに はちみつなどを加えたりして調整し、トラディツィオナーレ・バルサミコに似せたものにして使います。
1グラムあたりの単価はトリュフに次ぐといわれ、大変高価なものには間違いありませんが、その1回の使用量は前述したとおり、ごくわずかです。逆にたくさん使いすぎてしまえば、これほどデリケートな料理にはならないでしょう。その証拠に、ある料理人の方は私にこう言いました。「こいつは“王様”だから、余計なものを足しちゃ駄目だ。」と。独特の素晴らしい芳香をもつ神秘の調味料トラディツィオナーレ・バルサミコをよく言い表わしている言葉です。