「バルサミコとは」イタリア食材研究:3
バルサミコの故郷
バルサミコ酢は10年、20年と熟成を重ねれば重ねるほど寝かせるほどに、とろみと色の深みが増し、鼻にツンツン来る酸味、すっぱさがだんだん消えてまろやかになるということです。レッジョエミリアの中心部そして、三ツ星のレストランで使用される、トラディツィオナーレと呼ばれる高級バルサミコ酢になると、言葉では表現できない複雑なうまみが加わるということ。
もうこうなると、「酢」とは呼ぶこと自体、無理があるようです。貴族に愛される幻の調味料たる所以ですね。これは世界中のどんな調味料でも出せない風味なのです。
このようなトラディツィオナーレ・バルサミコの生産は、モデナとレッジョエミリアという隣同士の町の近隣に限られています。イタリアの中央部であるエミリア・ロマーニャ地方の中心に位置する地域です。平均所得金額が高く、イタリアの中でも、最も裕福といわれるこの地方は、ポー川流域に開けた肥沃な平野部です。
古くから栄えた交通の要所であるボローニャやサッカーの中田選手、パルミジャーノ・チーズと生ハムで有名なパルマといった歴史のある町とそれぞれ50kmの近さに位置し、食通の本場を形成しています。フェラーリの工場が近くにありF1が毎年開かれ、さらにオペラ歌手のパヴァロッティの本拠地。本当に名物には事欠かない地域であるといえるでしょう。
ちなみにモデナという町は、現在では特急(インターシティ)がかろうじて停車する、こぢんまりと整った上品な町並みです。モデナの町で紀元前183年にローマ領となり、前43年には、カエサルを殺害したブルータスとアントニウスの戦いの場となりました。4~6世紀には、戦争と洪水のためモデナは壊滅状態でしたが、8世紀以降、ローマ教会の力が強くなり、司教の統治のもとで町は再興され、11世紀には、大聖堂も建てられ、自治権を獲得して栄えました。
その後、フェラーラ(モデナの北東の都市)のエステ家の支配下に入り、1058年にはこの地方の首都となりました。 この「エステ家」はモデナ地方に君臨した支配者ですが、いまでもバルサミコ酢のラベルには、「ESTE」「ESTENSE」など当時のエステ公爵にちなんだ名前を付けているメーカーが多く存在します。