Passo della cisa
【第十四話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~
イタリアを縦断する大自然の壮麗な背骨、アペニン山脈。険しくも美しいこの山々には、古代から現代まで、多くの人々が刻んできた歴史の足跡が点在しています。そんなアペニン山脈にも巡礼路フランチジェナ街道が通ります。「Passo della cisa」、チーザ峠と呼ばれるこの峠は、険しい地形が行く手を阻む冬でも山越えができる数少ないルートの一つとして人々の希望をつないできました。海への物資輸送の要所となり、その支配を巡って争いの舞台となることもしばしばあったのだそう。紀元前109年にはローマの検察官マルクス・アエミリウス・スカウルスによって「エミリア・スカウリ街道」が整備され、この峠を超えてトルトーナからヴァド・リグーレをつなぎ、交通と交易の新たな時代を切り開いたのです。
ローマ帝国の崩壊後、チーザ峠は東ローマ帝国とランゴバルド王国との境界となり、642年にリグーリアがランゴバルドの支配下に入るまでの間、政治的な緊張が続きました。718年、レンヌの司教モデランノがローマ巡礼の途上でこの道を利用したことで、峠は巡礼路としても注目されるようになったのです。中世には「モンテ・バルドーネ」と呼ばれ、フランチジェナ街道の一部として、北イタリア、フランス、ドイツからキリスト教徒たちがローマを目指す信仰の道として多くの巡礼者が通りました。「聖マリアのオスピツィオ」が建設され、巡礼者たちはこの峠で旅の休息を取ることができるようになりました。その後も16世紀にはパルマ・ピアチェンツァ公国とトスカーナ大公国の国境となり、20世紀には第二次世界大戦中のナチス軍による「ヴァレンシュタイン作戦」が行われ、峠を含む周辺地域は戦争の激しい舞台となるなど、まさに戦争と平和、信仰と政治の交差点であり続けたといえるでしょう。
チーザ峠の頂には教会を見ることができます。「Nostra Signora della Guardia教会」は、ネオロマネスクとネオゴシック様式の壮麗な建物。1919年から1922年にかけて建設されたこの教会は、1930年に聖域として格上げされ、内部には新ルネサンス様式の精巧な木製合唱壇や油彩画で飾られた美しい装飾が施されています。教会の象徴である聖母マリア像は、1965年に「すべてのスポーツ選手の守護聖人」に指定され、信仰とスポーツ精神を結ぶシンボルとなりました。毎年8月29日は「ノストラ・シニョーラ・デッラ・グアルディアの日」とされ、近隣のパルマやジェノヴァ、マッサ=カッラーラなどから多くの巡礼者がこの地を訪れます。
教会を囲む回廊や正面のファサードなど、石造りで覆われた外観は美しく、長い階段を登ると、中心にアーチ型のポルティコが現れます。その上にはゴシック様式の小さな二重アーチ窓が輝き、急勾配の屋根が荘厳さをさらに引き立てているようです。内部に足を踏み入れると、天井を支える美しいアーチ、壁には赤いレンガと灰色の石で作られた模様を見ることができるでしょう。祭壇の背後には、精緻に作り込まれたヴェールのようなアーチが神聖な雰囲気を一層高めています。回廊の中央には聖母マリアの青銅像が静かに立ち、その像に差し込むステンドグラスの窓からの光が訪れる人々の心を穏やかに癒してくれます。
チーザ峠は交通、信仰、政治、そして戦争の舞台として、時代ごとに異なる役割を担いながら、ヨーロッパの歴史に深く刻まれてきた聖域ともいえるでしょう。アペニン山脈の壮大な自然と、時を超えて続く巡礼路に思いを馳せ、時を忘れるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
文責/アドマーニ