ヴァラッロの聖なる山を巡る旅
【宗教画:3】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~
巡礼路を巡る旅、今回は少し寄り道をして、少し変わった別の「巡礼」をご紹介致します。
北イタリア、ピエモンテ州にあるヴァラッロという街をご存じでしょうか。ミラノから北西80キロにある、人口約7000人の美しい街です。ヴァラッロはセジア川のほとり、標高450メートルの高地に位置し、夏は落ち着いた避暑地ですが、冬は雪が降り、厳しい寒さが続きます。この小さな街にひとつの世界遺産があります。その名もサクロ・モンテ(Sacro Monte)。サクロ(Sacro)は日本語で「聖なる」、モンテ(Monte)は「山」ですので、すなわち「聖山」です。何か宗教的な由来のある山なのでしょうか。いいえ、この山は聖なる山として「作られた」のだとか。それは一体どういうことでしょう。今回の旅では、このサクロ・モンテを一緒に辿ってみましょう。
事の発端は1478年、1人のフランチェスコ会修道士、フラ・ベルナルディーノ・カイミが聖地エルサレムを旅したことによると言われます。この巡礼の旅によりキリストの足跡を目の当たりにした彼は、故郷にエルサレムを再現し、この素晴らしい聖地巡礼を多くの人が追体験できる布教施設を建設しようと決めたのです。そうして”巡礼体験”のできる新たな施設の建設地として選ばれたのが、このサクロ・モンテです。15世紀から17世紀にかけて、この山の上には、実に45もの礼拝堂が建てられ、約800体の彫像が設置されたのです。それぞれの礼拝堂の中には、キリストの生涯のハイライトシーンが、壁画と彫像を駆使して再現されました。この山を訪れた人々は、山道を上へ下へと辿りながら、巡礼路をめぐるがごとく、キリストの生涯を目の当たりにすることができる…というわけです。
その彫像の迫力たるや…!中でも、画家であり彫刻家でもある、ガウデンツィオ・フェッラーリ(1475年頃~1546年)とその弟子たちによって作られた作品は、彫像にカツラを被せ、ガラスの眼球をはめるなど、リアルをとことん追求する仕上がりとなっており、現代の私たちでさえも目を見張るものがあります。それぞれが舞台芸術の一瞬を切り取ったかのような、劇的なポーズで表され、感情がありありと伝わるようです。
サクロ・モンテの新しい巡礼路建設は少しずつ行われ、フラ・ベルナルディーノ・カイミのエルサレム巡礼から実に2世紀近い年月をかけて完成しました。順路はアダムとイブの原罪を展示する1番の礼拝堂からスタートし、受胎告知、生誕、数々の奇跡とキリストの生涯を順に見てまわれるようになっています。後半はキリストの受難のシーンが続き、思わず顔をしかめるようなリアルな受難のシーンの連続に、古の訪問者たちは心臓を握られるような感覚を得たことでしょう。この巡礼路の最後は、1614年に設計され、100年がかりで完成した大聖堂です。大聖堂のドーム型の天井の内部には、《聖母被昇天*》が表現されていますが、こちらがまたものすごい迫力です。天使たちによって天井の世界へ運ばれる聖母マリアを取り囲むように、なんと合計650近い天使や、聖人たちの像がひしめき合っているのです。クライマックスの後、全員登場の大団円のようです。
(*聖母被昇天…キリスト教の教えで、聖母マリアがその人生の終わりに天に上げられた出来事を指します。)
15世紀に一人の修道士が始めた新たな巡礼路建設の試みは、多くの人を呼び、大成功を収め、イタリア各地へと広まります。それもそのはずです。3Dの迫力ある映像を見慣れた現代の私たちでも目を見張るような品の数々ですから。建設当時の信仰深い人々はどれほど驚かされたことでしょう。きっとキリストの受難から感じ取れる苦痛の連続に、怒りや悲しみ、苦しみを追体験し、そして最後は大聖堂の大がかりな装飾によって、神聖なパワーを感じ取り、その心が救われたような気持ちになったのではないでしょうか。
ありがたいことに長年の月日を経ても、サクロ・モンテの礼拝堂に展示されている作品は保存状態が良く、いきいきとした姿を見せてくれています。訪れた人は、今でもそこが歴史と宗教と芸術が深くリンクする場所であることを強く感じることができるでしょう。宗教的な由来はありませんが、その芸術をもって訪問者の心の奥に信仰の火を灯す、これもまたひとつの「聖地」なのですね。
文責/アドマーニ