コロンバ・パスクワーレ

コロンバ・パスクワーレ

コロンバ・パスクワーレ|[Chiacchiere! Mail Magazine 06 Marzo 2024]

暖かい日もだんだんと増えてきて、今年も春に向けての準備が始まっていますね。イタリアはこの時期になると、街中がパスクワ(復活祭)に染まり始めます。日本ではまだ馴染みのないパスクワですが、こちらをお読みになっている皆様は、ある程度ご存知の方が多いのではないでしょうか。チョコレートで出来たタマゴやそれを運んでくるウサギ等が最初に思い浮かぶイメージかもしれませんが、コロンバ・パスクワーレ(復活祭の鳩)というお菓子はご存知ですか?パスクワの時期には少なくとも一度は口にする、イタリアでは大変有名なパスクワのお菓子です。本日はこのコロンバ・パスクワーレについてご紹介致します。

コロンバ

パスクワーレは、クリスマスの時期に食されるパネットーネと作りはほぼ同じで、小麦粉・バター・卵・砂糖等とオレンジピール等(レシピによる)を混ぜ、長時間発酵させて作る菓子パンです。コロンバの方は愛と平和の象徴である鳩が羽を広げた形を模しています。コロンバの起源はロンバルディア州にあるというのが通説で、ロンバルディアにはコロンバの起源に関するおとぎ話がいくつか残っていますので、ご紹介します。

聖コロンバヌスと女王テオドリンダ
聖コロンバヌスと女王テオドリンダ

610年頃のパヴィア。当時ロンバルディアの首都であったこの地で、女王テオドリンダは聖コロンバヌスに率いられたアイルランドの巡礼者たちをもてなしました。王妃は彼らに狩猟で得た肉と豪華な酒を振る舞いましたが、四旬節(※1)の期間であったため聖コロンバヌスはそれを断りました。テオドリンダとその夫に侮辱と取られてしまった為、聖コロンバヌスは狩猟の肉を祝福し、白い鳩のパンに変えて振る舞いを受け入れ、事なきを得ました。
※1 四春節:復活祭の46日前~前日の期間を指す。断食や食事の節制を行う慣習がある。

アルボイン王のパヴィア包囲
こちらもお話の舞台はパヴィアですが、今回は572年、アルボイン王の時代まで遡ります。アルプス山脈を越えたアルボイン王は、パヴィアを包囲して東ローマ帝国に戦争を仕掛けました。3年間の包囲の後、抵抗は破られ街は占領されましたが、その際パヴィアの人々はアルボイン王たちの怒りを避けるために鳩の形をした柔らかいお菓子を贈りました。これが和平の証として略奪を防ぎ、パヴィアはその後の新生王国の首都となることが出来ました。

レニャーノの戦い
コロンバ

コロンバの起源は、ゲルマン皇帝バルバロッサにロンバルディア同盟が勝利したレニャーノの戦い(1176年)にあるとするものもあります。戦いが始まる前、2羽の鳩が軍旗の上にとまっていました。開戦が近いことなど全く気にせず、ありのままでいる鳩を見た指揮官は、部下を勇気づける為、コックに鳩の形をしたパンを作らせ部下に与え、彼らは戦いで大きな勝利を収めました。
コロンバ・パスクワーレ

さて、いくつかおとぎ話をご紹介致しましたが、コロンバはミラノのお菓子・ジェラートメーカーの“Motta”によって、クリスマスの時期の菓子パンであるパネットーネをパスクワ向けに作り直す形で開発され、1930年代に商品化されました。
また、コロンバの起源がヴェネト州だとする説もあり、Fugassa(フガッサ)またはFocaccia(フォカッチャ)と呼ばれています。こちらはトレヴィーゾのパン職人によって、庶民向けに作られたお菓子だったと考えられています。

起源に関する説がいくつもあり、歴史を感じさせてくれるパン菓子。イタリアの朝食は菓子パンとコーヒーというのがスタンダードなので、パスクワの時期にコロンバが販売され始めると、自宅用に一つコロンバを買ってきて朝食にするというのは、現地のイタリア人だけでなく、駐在員や留学生の日本人の間でも良く見られる光景です。とてもサイズが大きいので、毎日少しずつ食べて、パスクワの期間を楽しみます。輸入品店等でコロンバを持ち帰れば、日本にいながらにしてイタリア現地にいる人々のようにパスクワの雰囲気を感じられるかもしれませんね。便利な時代になったとはいえ、誰もが気軽にヨーロッパに行けるわけではありません。今年はそれぞれが出来る形で異文化を体験してみる、そんな春にしてみるのはいかがでしょうか。

文/アドマーニ