トスカーナのオルチャ渓谷

トスカーナおらが村便り|22 Aprile 2020

4月12日は復活祭(イースター、イタリア語でPasquaパスクア)でした。例年は、トスカーナ南部・オルチャ渓谷(世界文化遺産)のおばあちゃんの村に家族で集まるのですが、当然ながら今年は各自、それぞれの家で過ごす復活祭となりました。おばあちゃんの村へはクリスマスやイースターなど各季節の行事ごとに行くので、その時期になると昨年の夏に亡くなった、おばあちゃんのことを思い出します。その中でも、復活祭はちょっと特別。当時91才だったおばあちゃんが最後にパスタを打ったのが、2年前の復活祭だったからです。

イースターの卵

私がフィレンツェ留学にきた2001年、早々に今の夫と知り合い、夏に初めておばあちゃんの村に行きました。その時おばあちゃんは75才で、突然に孫が連れてきた謎のアジア人には関心を示すこともなく、無骨な田舎のばーちゃんという感じ。それもそのはず、1926年に山の中の貧しい農家に生まれ、他の8人の兄弟とともに学校にも行かず、朝から晩まで農作業や家畜の世話をしていたおばあちゃん。戦後すぐにシングルマザーで娘(私の姑)を生み、フィレンツェで住み込み家政婦として働き続けた苦労人なのです。そんな人生、特に幼少時代の家庭環境から、食に関しては本当に厳しく絶対に残さない、棄てない、を徹底していました。固くなったパンや野菜くずを使い切る、トスカーナ郷土料理を地で行くような人でした。

↑ちょっかいをかけて叱られる次男。
初めてのおばあちゃんの村では、もう1つの「カルチャーショック」を味わいました。それは、散歩中に開いた窓から見える、ありとあらゆる家庭のおばあちゃんがパスタを打つ姿。ああ、これがイタリアなんだ、本当のイタリアの生活なんだ、と胸が熱くなりました。家族が集まる日曜や祝日にパスタを作るのは、うちのおばあちゃんも同じ。無造作に小麦粉の袋をひっくり返し、卵を割って、手慣れた手付きでこねてゆく。それを、背の高さもありそうな麺棒で、魔法のように薄い1枚の生地に仕上げてゆく。そんな作業を見ているのが好きで、その技術を盗みたくて、気心が知れてきてからは、おばあちゃんがパスタを打ち出すと脇に張り付く私・・・こうしてぶっきらぼうながら、私にいろいろ教えてくれるようになったのです。


初めてのおばあちゃんの村では、もう1つの「カルチャーショック」を味わいました。それは、散歩中に開いた窓から見える、ありとあらゆる家庭のおばあちゃんがパスタを打つ姿。ああ、これがイタリアなんだ、本当のイタリアの生活なんだ、と胸が熱くなりました。家族が集まる日曜や祝日にパスタを作るのは、うちのおばあちゃんも同じ。無造作に小麦粉の袋をひっくり返し、卵を割って、手慣れた手付きでこねてゆく。それを、背の高さもありそうな麺棒で、魔法のように薄い1枚の生地に仕上げてゆく。そんな作業を見ているのが好きで、その技術を盗みたくて、気心が知れてきてからは、おばあちゃんがパスタを打ち出すと脇に張り付く私・・・こうしてぶっきらぼうながら、私にいろいろ教えてくれるようになったのです。

おばあちゃんの打つパスタは、決まってタリアテッレ(太めの平麺)かリコッタチーズとほうれん草が入ったラヴィオリ。これらのパスタの他、カーニバルシーズンのお菓子「スキアッチャータ・アッラ・フィオレンティーナ」も教えてもらいました。字の読み書きができないので、おばちゃんが記録しているレシピをまさに口伝えで・・・。亡くなる1年くらい前、「私はもうスキアッチャータのレシピは覚えてないよ」と言うので、「私が覚えてるから大丈夫」と答えると、ふっふっふ、と嬉しそうに笑ったおばあちゃん。おばあちゃんのレシピを作るたび、その笑顔を思い出します。

パスタが完成した時のドヤ顔も、忘れられません。日本人の孫嫁は、あなたに習ったパスタを今もいっぱい作ってますよ。


文・写真/中山久美子
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。https://toscanajiyujizai.com/