ラファエロ作《サン・シストの聖母》の旅

ラファエロ作《サン・シストの聖母》の旅

【宗教画:4】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

※カバーの絵:《サン・シスト(システィーナ)の聖母》1512年頃~1513年頃 アルテマイスター絵画ギャラリー ドレスデン

巡礼路を巡る旅の中でピアチェンツァという街を紹介致しました。ボローニャから電車で1時間20分、ポー川流域にある中世の雰囲気を色濃く残す小さな街です。他の多くのイタリアの街と同様、歴史的な見どころを多く持つこの街ですが、今日は街の北西にあるサン・シスト教会とラファエロの名画の関係について、さらに詳しくご紹介したいと思います。
サン・シスト教会は、その前に立ってみると、ファサード(正面部分)は控えめな外観ですが、内部は豪華でありながら洗練されており、ルネサンス様式の美しいアーチや装飾をみることができます。一歩中に入ったら、外観との印象の差に驚かれることでしょう。
このサン・シスト教会の祭壇に、ルネサンスの三大巨匠の一人、ラファエロの名画のレプリカがあります。 

ラファエロ作《サン・シストの聖母》の旅1506年頃の『自画像』
ウフィツィ美術館所蔵

《サン・シストの聖母》と呼ばれるこの絵は、1513年、ラファエロが30歳のころの作品です。ラファエロが残念ながら37歳という若さでこの世を去ったことを思うと、晩年にもあたるころですね。
このころすでにラファエロは、50人もの弟子を抱える工房を持っており、教皇ユリウス2世の命でヴァチカン宮殿の壁画を完成させるなど、教皇や教会、または個人から数多くの依頼を受ける、第一線の芸術家でありました。

 ラファエロ…といえば聖母像。そう思われる方も多いように、彼の聖母像は「優美な母性の象徴」として描かれています。威厳に満ちた姿ではなく、柔らかく、穏やかで、人間味のある姿…それでいて、どこか神聖な雰囲気を漂わせる姿です。
ラファエロについて知るために、《サン・シストの聖母》とほぼ同時期に描かれた《小椅子の聖母》を見てみましょう。

ラファエロ作《サン・シストの聖母》の旅《小椅子の聖母》1513年-1514年
ピッティ宮殿 フィレンツェ

椅子に腰かけて、ふっくらとよく太った赤ん坊(キリスト)を抱いています。
聖母マリアの表情やしぐさからは、子供への愛情を感じさせます。椅子の脇には、もうひとりの子供、キリストの従弟でもあるヨハネが立ち、両手を合わせながら、キリストを見上げていますが、これもまたかわいらしい表情です。母の愛と、子供達のピュアなまなざし、この絵をつつむ穏やかで美しい雰囲気により、この《小椅子の聖母》はラファエロの聖母像の中でも非常に高く評価されており、その優美な構図と豊かな感情表現はラファエロの芸術の頂点の一つとされています。

 この《小椅子の聖母》とほぼ同時期、つまり、ラファエロ全盛期とも言えるころ、教皇の命によりこの《サン・シストの聖母》は描かれました。ピアチェンツァにあるベネディクト会のサン・シスト修道院の祭壇画の一翼として発注されたものです。画面右手の女性、聖女バルバラと、画面左手の聖シクストゥスはどちらも聖ベネディクト会の守護聖人であり、当時このピアチェンツァにおいてとても人気のある聖人でした。

《サン・シストの聖母》は、《小椅子の聖母》に比べると、物憂げな表情を浮かべて画面正面、すなわち私たち鑑賞者側を見つめています。聖シクストゥスは鑑賞者側を指すようなポーズをとっており、聖母マリアに何かを示しているように見えます。
画面の下方には、小さな愛らしい天使が2人描かれています。2人の天使のうち、左側の天使は頬杖をつき、右側の天使は組んだ腕に顎を乗せて、上目使いで宙を見ています。この天使たちはイタリア美術ファンでなくても、一度は目にしたことがあるかと思います。世界一有名な天使と言っても過言ではなく、化粧品や小物、洋服のデザインにも利用されていますし、レストランなどに飾られていることも多く、現代においても大変人気のある絵です。

 さて、聖シクストゥスが指し示し、聖母マリアが悲しげな表情を浮かべるその先には、何があるのでしょうか。それは、この教会の祭壇の中央部にあるキリストの磔刑像であると言われています。悲しいことに手に抱いた幼子の辛い宿命を見つめているのです。

 そんな《サン・シストの聖母》ですが、冒頭で書いた通り、ここピアチェンツァにあるのはレプリカです。1754年、サン・シスト修道院は財政難に陥っており、資金を得るためにこの作品を売却してしまったのです。買い手は、当時のドレスデンの選帝侯でありポーランド王でもあったアウグストゥス3世でした。《サン・シストの聖母》は、描かれた聖人達と強い結びつきのあった教会を離れ、また聖母子が見つめていたキリストの磔刑像を離れ、遠くドイツに渡ってしまったのです。
 
《サン・シストの聖母》は、ドイツに渡ってなお大変な人気となり、アウグストゥス3世のコレクションの中でも最も重要な絵画となりました。18世紀の終わりには「ラファエロが実際に聖母マリアに出会い、その目で見てこの絵画を描いた」という伝説が生まれるほどにドイツロマン主義の象徴とされ、ゲーテ、ワグナー、ニーチェら文化人たちにも多大な影響を与えたのでした。

第二次世界大戦の際、空襲による被害を避けるためにこの《サン・シストの聖母》を含むいくつかの重要な作品は、ドレスデン近郊の坑道や洞窟に隠されました。しかしながらドイツ東部はソ連軍によって占領され、隠されていたドレスデンの美術品も発見され回収されました。《サン・シストの聖母》もそのひとつで、他の作品とともにソ連へと運ばれることとなったのです。この絵画が後にドイツ、ドレスデンに返却されたのは10年後の1955年のことでした。

 こうして《サン・シストの聖母》は、いまもドレスデンの絵画館に最も重要な作品として保管されています。長い歴史の中で3か国を行き来してもなお、美しいまま保管されているのは、どの国においても重要な文化財とみなされ大切に守られてきたからでしょう。今日もこの絵を一目見るためにドレスデンの絵画館に世界中から人々が集まるわけですが、この絵がたどった数奇な運命を思うと、「もし、ピアチェンツァに残されていたらどうだっただろうか…」と考えを巡らさずにはいられません。なぜならピアチェンツァに置かれることを前提に描かれている絵画なのですから。聖堂の中央に教会の象徴として置かれるその絵にラファエロ本人の情熱を感じてみてください。

文責/アドマーニ